私の一生の宝物はたった一通のおばあちゃんからの手紙です。
あれは私が短大に入って初めて運転免許を取って、当時心臓を悪くしたおばあちゃんを病院に連れて行くために迎えに行きました。
病院に付き添って、また一人暮らすおばあちゃんの家に送って行きました。
道中はとっても楽しく話をしたのを覚えています。
それから数日後、おばあちゃんから手紙とお金が入った封筒が届いたのです。
「ご免くださいませ。先日は勉強のあるお忙しい時、お薬取りに行って下さった事、本当に有がとう御座いました。お礼申します。
お金をお払いしようと思い話に夢中になって忘れてしまいました。
後でしまったと思い出したので誠にすみませんでした事お許し下さいネ。
おわび申します。取りあえず此の中に入れます。3000円入れてあります。
ではお元気で通学して下さいませ。さようなら。
美佳ちゃんへ 」
おばあちゃんが字を書ける事をこの時まで知りませんでした。
19歳でお嫁に来て、旦那さんはすぐに徴兵に取られてず~っと曾ばあちゃんと2人で4人の子供を育ててきました。
徴兵から戻る度に寂しくないようにと子供を授けておじいちゃんは戦地に戻って行ったのだと思います。
しかし終戦を迎え、生きて帰ってこれましたがマラリア熱で床に伏し、3年の看病の末37歳の若さでこの世を去りました。
その時に5人目の子供を身ごもっていたおばあちゃんですが、32歳の若さで後家さんになってしまったのです。
5人目は到底育てる事は出来ず、子供のいない兄夫婦に養女に出したのです。私の母の母がこのおばあちゃんですが、それからも苦労に苦労を重ねて立派に4人の子供を育てました。とっても優しく、困っている人のところへすぐに駆けつけて手伝うような人でした。
がばいばあちゃんの映画を見た時に、家庭の事情でおばあちゃんの家に数ヶ月預けられていた時の事を鮮明に思い出しました。
それから月日は流れて自分のお姑さんを10年以上も介護をしてきたおばあちゃん。
曾ばあちゃんを見送ってこれからやっと楽に。。。と思った矢先に心筋梗塞で倒れてしまったのです。
畑に出る事が生きがいだったのに、一人暮らしは危ないと息子の家で余儀なく暮らす事になってしまい、気が付いた時には今で言う認知症になっていました。
当時の私は、まだ学生でどうしてあげる事も出来ず、心を痛めたものでした。
もっと稼いで、一緒に暮らしたいと思っていました。
でも実際は認知症が進み、家族で面倒を見るのは困難な状態になっていました。
それから10年ぐらいおばあちゃんは生きてくれました。
最後には孫で一番と言っていいほど可愛がってくれていたのに私に向かって「先生!先生」と病院の先生だと思い込んで呼んでいました。
最初は悲しかったけれど、でもおばあちゃんの目の奥は昔のままでしたからいつしか、その目に癒されるようになっていました。
おばあちゃんの一生は私に大切なものを残してくれました。
「無償の愛」これを身を持って教えてくれたのでした。
私の事はわからなくても最後まで私は「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼んでいました。
今でも病院の廊下を手を繋いで散歩した事が昨日のようです。
天国に行ったらいつか逢えますように。。。
今を一生懸命生きるように。。。そう写真のおばあちゃんが言っているように思います。
今もこれからも私の尊敬する「歌香(うたか)ばあちゃんが自慢です」